15年前に祖父を亡くしてから、一人暮らしをしていたわたしの祖母。7年ほど前から自由に出歩けなくなってきたので、毎年のお誕生日やお正月にはなるべく帰省し、泊りがけで祖母の家に滞在していました。

そんな2018年の10月。おばあちゃんの誕生日には、母や伯母も仕事の都合をつけて集まれるというし、全力で祝ってあげたい! てなわけで、わたしは子ども向けの「バースデーパーティーセット」を購入し、おばあちゃんの家へと向かいました。

【全力で誕生日を祝うと…!】

パーティーセットの中身は、ピンクと赤のしましま三角帽子やアホアホなデザインの「バースデーメガネ」、紙カップにプレートと、パーティー気分が盛り上がるものばかり。それを見た母は大笑いして「こんなん、おかあちゃんにしてあげたことないわ。喜ぶで」と。

早速ダイニングを「HAPPY BIRTHDAY」の文字とウサギのガーランドで飾り付け、家族みんなでメガネをかけてスタンバイしました。

伯母に連れられて入ってきたおばあちゃんは「まあ! これどうしたん!」と声を上げ、目をキラキラと輝かせて大喜び。そんなおばあちゃんの頭に花冠を載せて、赤とピンクの花束をプレゼントし、みんなで「おめでとう!」と声をかけると、とってもいい笑顔で笑ってくれました。

そのあとはホットプレートで焼肉パーティー。デザートのホールケーキにはロウソクを立てて、フーっと吹き消してもらうと、おばあちゃんは「こんな風に祝ってもらうのなんか、生まれてはじめてや」とそれはそれは喜んでくれて、サプライズパーティーは大成功!

「こんなに楽しかった誕生日は今までにないわ。ロウソクの火を消したんもはじめてや。こんなふうに祝ってもらえて嬉しい。ありがとう」

その言葉を聞いて、あと何回、こんな風に祝えるかはわからないけれど、こんなにも喜んでもらえるんだったら、来年はもっともっと豪華に楽しく祝ってあげよう! そう心に決めたのです。しかし……。

【最初で最後の誕生日パーティーになってしまった】

誕生日を祝った10日後に、祖母が腰の骨を折って入院したと連絡があり、すぐにまた大阪へ向かいました。突然病室に現れた私の顔を見て、ベッドの上の祖母はとても驚いて、涙ながらに「ありがとう、来てくれて」と。

手を差し出すと、弱々しい表情に反して、強く強く握り返してきました。わたしが涙をこらえて「早く元気になって、お正月にまた一緒にご飯食べよな」というと、黙ってこくりとうなずいて。

病院は心細いだろうと思って買ってきたクマのぬいぐるみを渡したら、ぎゅっと抱きしめて口元に寄せてこちらを見た、その姿が、わたしがおばあちゃんを見た最後になりました。

【悔いはないけど、寂しいよ】

それから2ヶ月後に、祖母は亡くなりました。早朝の母から着信で、iPhoneの画面を見ただけで何があったのか分かってしまい、この日が来てしまったんだと呆然としながら電話に出ました。

実家を離れてから15年。その中でも、お誕生日やお正月、わたしにできる精一杯でおばあちゃんのそばにいました。だから、悔いはないんだけど……寂しいな。おばあちゃん。やっぱり寂しいよ。

今でも待ちきれずに電話をかけてきて「あんた、いつ来るのん?」と聞いてくれそうな気がする。玄関を開ければまた、居間からひょっこり顔を出して、嬉しそうに笑って迎えてくれる気がする。

おばあちゃん。わたしは、今年のお正月も、一緒に過ごせると思っていたんだよ。

【大切な人と過ごす大切な時間】

会いたい人、大事な人。それは家族かもしれないし、恋人かもしれない。長く顔を見ていない友人や恩師や……。たとえば離れて暮らしている親にしたって、年に1度会いに行くとしても、あと20回あるかないかなんですよね。年末年始は、そういう人たちと一緒に過ごせるまたとないチャンスなのかも。そんなことを考えます。

きっとこれからも、避けられない別れはあって。でもそのときに後悔しないために必要なことは、大切な人と過ごす大切な時間を、本当に大切にすることなんだな、と思います。当たり前のように会いたい人に会えること。それは何ものにも代え難い、宝のような時間なんだ、と。

わたしは、おばあちゃんのために会いに行っているつもりだったけれど、本当はおばあちゃんからもずっと、大切な時間をもらっていたんだなぁ。

あなたは今、誰と過ごしていますか? どうか、いつもと変わらなくても、少しくらい暇でも、暖かくてのんびりとした時間でありますように。そんな時間がいつか、あなたとあなたの大切な人にとって、かけがえのない思い出となりますように。

画像・執筆=森本マリ (c)Pouch